言葉の怖さ:自分の話を聞いてもらうことに酔ってはいけない

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Twitterなどソーシャルメディア上で大きな騒ぎになったのでご存知の方もおられるだろうが、3月19日、「放射能がくる」というセンセーショナルなタイトルの週刊誌が書店やエキナカ売店に並んだ。『AERA』だ。しかも、表紙の写真は、白い防護服を着て防毒マスクをつけた原爆作業員とおぼしき人の写真。

同誌に「ひつまぶし」というエッセイの連載をもっていた劇作家・野田秀樹氏が、翌週、この号の表紙とタイトルに抗議して連載を打ち切る宣言をしたことも話題になった。野田氏も指摘しているように、このようなセンセーショナルな言葉が『AERA』という15万部発行の週刊誌に載ったことは由々しき事態だった。

AERA』3月28日号の目次には、[原発が爆発した][東京に放射能がくる][「放射能疎開」が始まった]といった刺激的な言葉が並んでいた。しかし中身をどう読んでみても、そこまで緊急事態になっているとする理由が判然としない。たとえば、「原子炉内で臨界が起きているのではないか」という疑問に対しては、原子力の多くの専門家たちの意見として、[炉心溶融が起きたとしても、さすがに臨界だけは起きない]と記している。それにもかかわらず、[しかし、その「臨界」の可能性までも現実のものとなった]という文言でパラグラフは締めくくられている。本文の文脈からは、そのような限定的な表現は読み取れない。

炉心溶融していたというのは、いまとなっては周知の事実だが、被災後1週間のこの段階でも、専門家のあいだでは程度の差こそあれ、冷却に失敗した時点で炉心溶融が起きるのは想定の範囲だと考えられていた。

燃料棒はジルコニウムの被覆管に覆われている。それが冷却している水から露出すれば、内部のウラン燃料の出す崩壊熱により溶け出す。それを炉心溶融メルトダウン)と呼ぶ。どの程度の範囲までをメルトダウンと呼ぶかについては専門家のあいだでも議論があり混乱したため、初期の東電や保安院の会見では、ほぼ一貫して「炉心溶融」という四字熟語が使われた。

しかし、燃料棒が溶け出す「炉心溶融」と、核分裂反応が連鎖的に起きる「臨界」とはイコールではない。福島第一原発は、3月11日の地震の際に制御棒が挿入され、運転は停止していた。その制御棒が抜け落ちないかぎり、ふたたび燃料棒で反応が起きる可能性はなく、もし溶けたとしても、すでに冷却のためのホウ酸水(海水)を大量に放水しており、そのホウ酸水が中性子を吸収する役目を担うため臨界は起きないというのが、大部分の専門家の意見だった。にもかかわらず、詳しい理由を記すこともなく、「臨界の可能性がある」とだけ書いているのには問題がある。

(太字は私が設定)
AERAの記者は自分の記事を読んでもらうことだけが目的でそれに酔ってしまったようだ。電車の中吊り広告のダジャレの品のなさもその表れだろう。