食料安全保障

捕鯨は日本の文化ではなくて安全保障のための手段の一つです。かつてエネルギーも食料も自給に頼っていた江戸時代の日本では3000万人ほどの人口を維持するのが精一杯でした。いくら憲法で戦争を放棄するとうたっていても、目の前で子供や親が飢えて死にそうになるのを見ていられる人は世界でもまれでしょう。日本人も追い詰められれば、かつてエリコの町を襲った流浪のユダヤの民のように再び外国に侵入せざるを得なくなるでしょう。「戦争をくりかえさない」と口で言うのは簡単ですが、戦争をしないですむためのあらゆる努力が必要です。エネルギーについては核燃料の再処理を行えば自然エネルギーの高度利用とあわせれば有る程度持ちこたえられるかもしれません。食料はカロリーベースで自給の効率が高いのが米だとするとタンパク源の確保が問題です。公海の漁業資源を有効利用できる技術の維持は食料政策を通じた安全保障のためです。海棲哺乳類を食べなくてすむ国はともかく、日本は他国に攻め込んで食糧を奪うより前に自力でなんとかする技術を持ち続ける必要があります。日本はすでにかなりのプルトニウムを抱えていますが、ひそかに400発の原爆を保有するイスラエルのように世界に対して刃をちらつかせるのではなく、平和的な努力を惜しまないこと理解してもらう必要があります。捕鯨は野蛮さの表れではなく平和のための真摯な努力の一部である、と主張してもまったくのうそではないでしょう。
水銀がたまっているから安全じゃないって?腹がへれば何でも食べますよ。