どうみても変

どうみても変なのにやっている当人たちはそれが当たり前と思って疑問を感じていないことがある。行動経済学的に言うとヒューリスティックスなのだろう。代表性ヒューリスティックス、アベイラビリティヒューリスティックス、アンカリングヒューリスティックスのどれか?を考察してみるのもいいだろう。しかし、そもそもそれが合理的でないのじゃないか?と疑わないと検討が始まらない。だとすると「疑ってはいけないもの」として考察から外してしまうというのもヒューリスティックスなのか?それは進化心理学的に意味のある現象だろうか?

先史時代と心の進化 (クロノス選書)

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