穢れ

一時ほどではないがいまだに放射能と聞くと過剰反応する人がいる。検出されること自体に耐えられず、安全基準という数値を惑わしだと決めつける。物理的・化学的存在としてではなく宗教的な「穢れ」としてとらえているではないかと思う。原発についても理系がとらえる科学技術としての不完全さや、エコロジーの観点からの得失といった判断とは全く別のところで「穢れをまき散らすおぞましい存在」といった呪術的なとらえ方がされているのだと思う。