完成度の高いものに慣れすぎていないか?

スーパーやコンビニに並ぶ商品を思い浮かべてほしい。いずれもきちんとした企業がそつなく作り上げこぎれいに包装したものが並んでいないか?生鮮食品ですらきれいにパックされているばかりか、大きさや形のそろった見栄えのいいものがならぶ。これが実は現実の世界から「きちんと完成された見栄えのもの」だけを選択してきた結果であって、その選択のためのコストが含まれたものだ、というのを認識しているだろうか?未完成なもの、不都合や不具合がありうるものは「商品以前」のありえないものとして遠ざけられていないか?我々はすべての日常の生活を商品やサービスの購入者たる「お客様」として見ていないか?予想外の不具合や不都合に頻繁に遭遇するものは避けたい、というなら密接な人間関係を避けるのも一つの選択だ。相手の反応が読みにくい恋愛や子育ては「商品としてありえない」体験である。疑似体験としての恋愛ゲームや育成ゲームに慣れすぎてしまうと現実世界での「失敗」はばかばかしくて手が出せないものなのかも。