何が国を誤らせたのか?

「国体」の議論がさかんになっていくのは大正デモクラシーの時代からで、個人が自分の人生に意味を見出したいと感じ始めたからだという。明治の兵隊は「死ね」と言えば死んでいったのだと。何のために死ぬのかを問い詰めていくと個人を越えた大きなものに殉じるという発想に行きつく。これがために「国体」という虚構を崇高で絶対なものに祭り上げる必要があった。いま「自分探し」がさかんになっているのはかつての「人生の意味」追及と同じだと筆者はいう。人生に意味などない。ただ動き、働き、役に立つ、その積み重ねしかないという。日本がもう一度変な方向へ行きませんように。
ミッドウェー海戦の前に海軍は定期の人事異動を行い、指揮官としての有能さや戦術の専門性を考慮せず年次の席次で発令していた。かつミッドウェーでの惨敗は終戦まで陸軍には伏せられていた。なんていう硬直した官僚制のあほらしさ。