芸人

日本は他人を思いやる文化が根付いているせいか他人の気分を害するような発言は常に封殺されやすい。この縛りは共同体の外には適用されない。共同体の内部がうまく調和している場合はそれでいいが、痛みを伴う変革を必要とする場合は足かせになる。言っていけないことを言うのは不作法で、その後の共同体の中での生活が不自由になるリスクを伴うからだ。中世では漂泊の説教師や芸人は一定の共同体に属していないため「言っていけないこと」の縛りが緩かった可能性がある。現代でもテレビがお笑い芸人を多用したがるのは失言があっても「どうせお笑いの言ったことですから」と逃げられるからだろう。放送禁止用語かもしれないが「河原乞食」と同じ扱いである。大胆な改革を行う政治家にも一部の人には痛みを伴うことをあえて言わないといけないことがある。それを言わないで済ませたい政治家が増えると大衆の側では「言いにくいことを言ってもいいキャラクター」として芸人を持ち出したくなるのかもしれない。タレント議員が増えるのもしょうがないかもしれない。一方では一般の政治家の側から自らお笑い芸人化するという技を使うものが現れる(誰とは言いませんよ)。