何をしたいのか?

何をしたいか?が主人であって、いろいろの知性はそのための従僕である。
幸せになりたい、人から評価されたい、が多くの人の「したいこと」だろう
その為の手段として「きれいになりたい」「おいしいものを食べたい」「珍しいところへいってみたい」「権力を持ちたい」「有名になりたい」などなど。
現在の教育は手段の追求を効率的に進めるあまり「何がしたかったのか?」がわからないものになりがちだ。ジョブスが「馬鹿であれ」というのは「何がしたかったのか?」に忠実であれってことだな。「ハングリーであれ」というのは「何がしたいのか」を簡単に諦めるな、っていうことだろう。
「あなたに愛されたい」というのが容易にかなわないなら「あなたからなるべく離れていたい」になるのかな。