シプリアーニ枢機卿
1996年から1997年のペルー日本大使館人質事件で犯人との粘り強い交渉を続け人質を解放させた人。このひと映画化すると面白いと思うのだがだれか脚本書かないかな?ペルーのバスケットボールチーム代表になったことがあり工学部出身のエンジニアなのだ。
- 作者: 共同通信ペルー特別取材班,石山永一郎,佐々木伸,蒔田隆佳,川北省吾
- 出版社/メーカー: 株式会社共同通信社
- 発売日: 1997/06
- メディア: ハードカバー
- 購入: 1人 クリック: 21回
- この商品を含むブログ (6件) を見る
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid297.html
銃撃戦があるということは、必ず2階に聞こえてしまうから、必ずこの少年は撃つであろうと、フジモリ大統領は判断してたんです。僕は推測で言ってるんじゃありません。ペルー側の内部から聞いてきた話です。というのは、このへんの盗聴マイクがいつも仕掛けられていたので、つまり持ち込んだ食料とか、そういうものに盗聴マイクが仕掛けられていたので、こういう状態だとわかっていたわけです。ですからさっき言った通り、ここから(トンネルから1階へ)突入したら、必ずこの少年が撃って全員死ぬと覚悟して、フジモリ大統領は突入したんです。じゃあどうして死ななかったかというと、この少年が、実はこの少年は、さっきゲリラと言いましたが、実際はほんの子供で、アマゾンのジャングルに住んでて、親が50ドルをさっきの主犯格から渡されて、50ドルで売られた子供です。その50ドルで一族が何年も暮らせるわけです。日本円で6000円ぐらいですよ。ですからテロリスト、ゲリラと言うけれども、実際はただの子供なんです。4カ月もいっしょにいたから仲良くなってて、人質の方の証言によると、いま証言を要請されている日本人の人質によると、引き金に指はかかってたと。だけど引けないまま彼は後ずさりしていって、部屋から出て廊下に出たと。