コミュ障カフェ

いつのまにか変わってしまって人が気が付かないことを指摘する人がいる

(シロクマの屑籠より)インターネットのあちこちに吹き溜まっている怨嗟の声に耳を傾け、精神科の診察室で遭遇する適応障害に該当する人々の苦境をみる限り、本当は、要領の悪い人や無愛想な人、不器用な人が消えてしまったわけじゃない事はわかっている。にも関わらず、そのような人達が気持ち良く働けるポジションが社会のなかであまり見当たらないのは、とても、怖ろしいことのような気がするのだ。
 
 労働者の質が高くなり、サービスや品質が向上するのは素晴らしいことだが、そうした向上が人間の切り捨てと排除に基づいて成立しているとしたら――それは悲しいことだと思う。そういう意味では、実のところ、昭和時代の社会のほうが、現代社会よりもマシだったのかもしれない。まあ、昔には昔の悲惨があり、例えばコミュニケーション能力の一環として暴力が幅を利かせる時代でもあったわけだけど。ただ、テキパキしていない奴、愛想も要領も悪い奴でも働ける社会だった、という点では今よりもマシだった。(途中略)
 思い描く理想像は人それぞれだろうけど、テキパキしていない人、愛想も要領も悪い人が働く場が排除されることで成立するような社会は、たとえ便利で快適でも、理想の社会と呼んではいけないように私は思う。今までのようなやり方で便利さや快適さを蒸留し続けても、今以上に息苦しい社会がやって来るだけではないか。どこかで、新しいかたちで、揺り戻しがあって欲しい。

というわけでコミュ障の人やちょっと「もっさり」した人でも働けるコミュ障カフェを作ってみました。世の中のテキパキ・愛想のいい人たちとは違う、モタモタ・無愛想の人たちの生態を猫カフェのネコちゃんたちを観察する如く堪能してください。