戦うこと

山の部族の応援で危うく危地を脱する信たち。大王が直々に前線で民衆を鼓舞することで平の民衆を戦闘に立ち上がらせることを計算で進めながらもその打算に内心疑問を感じる王。それに対して「わかっててのせられたんじゃないのか?」と慰める信。国が生き残る為には理不尽な犠牲をしいられる国民が生じてくる。それがわかっていてなおあえて犠牲を強いることができ、かつ痛みを感じることができるものが真の指導者ーーなんて言い出すと危ない話になってしまうのかな?